真鶴半島を望む湯河原と東京・代々木を拠点に活動する紙やまさみのヨーガ教室です。指導実績は30年以上。アシュタンガやハタヨーガ、シヴァナンダ、プラーナヤーマ(呼吸法)、瞑想法のほか、クンダリーニなどの奥義を組み合わせて効果を最大限に引き出します。湯河原スタジオ(ヒーリングセンター:さゆらばな)は相模湾を望む自然豊かな高台にあり、東京都内や横浜、鎌倉などから通われている人も多くいらっしゃいます。アットホームな雰囲気の中、心と体の状態に合わせてマンツーマンで指導しますので、初心者の方からプロフェッショナルを目指す方まで、気軽にいらしてください。キッズヨーガやワンデイワークショップ、1泊2日のリトリートコースもあります。

不治の病をヨーガで克服!

紙やまさみのプロフィール
ヨーガセラピスト。
ヒーリング・センター「Shanti Path」主宰。

2歳からの腎臓病が不治の病であるとの宣告を受けた後、西洋医学に疑問を感じ様々な民間療法、東洋医学を体験の末、ヨーガによって健康を得る。

1978年よりインド・ニューヨーク・サンフランシスコ・スペインなどのアシュラムで学び、1985年よりヒーリング・センター「Shanti Path」を東京にて主宰する。

1993年から95年までインドのビハール・スクール・オブ・ヨーガ(BSY)に毎年留学し、研鑚を積む。同校のパラマハンサ・スワミ・サッチャナンダ・サラスワティ主宰の、ヨーガを通じて世界平和に貢献する「インターナショナル・ヨーガ・フェローシップ」のメンバーである。

現在は、人々がより気持ち良く生きることを願い、世界各地から持ち帰った心と身体の磨き方と、体験から得た骨格矯正のオリジナルのヨーガ(アメイジングヨーガ)を指導する。2004年から日本に本物のヨーガを広めるためにBSYより親善大使を招聘し、セミナーを主催する。

神奈川県湯河原町吉浜に、居るだけで元気になれるヒーリング・スペース紗侑良花をオープン。より多くの人々の心身の健康を願って様々なヨーガ・アクティビティを主催し、精力的に活動中。


不治の病をヨーガで克服!
★2歳から腎臓病を患う
私は生まれた時からとても虚弱だったんですね。二歳頃から腎臓が悪くなって、蚊にさされただけでも1ケ月も2ケ月も膿んでしまうほど治癒力がありませんでした。小児ぜんそくも患っていたので、小学校に入る頃には、腎臓とぜんそくの薬や抗うつ薬、自律神経の薬が手放せない体になっていました。中学、高校と進学はしたものの休みがちで、体育の授業はほとんど出たことがありません。勉強したくても体が言うことをきかず、とても悔しい思いをしました。病気だけが本当の友だちみたいな状態だったんです。

★21歳で不治の病を宣告
遂に、21歳の時に不治の病の宣告を受けました。子供も産めないし、運動も一切できない。そして、一生治らない・・・。スカスカになって肥大している左の腎臓を切除して、右側の遊走腎というぶらぶら下がっている腎臓を背中に縫い付ければ、寝たり起きたりの暮らしはできる。でも、最悪の場合は人工透析になると言われました。私の家はとても貧乏だったので、当時は保険のきかない人工透析で命を長らえるなんて選択はできませんでした。

★絶望感から死を求めて自暴自棄に
絶望感がいっぱいで荒れに荒れました。その頃は「死んでやろう」って自暴自棄になってました。でも、手首を切ったり、屋上から飛び降りるなんてできなくて、消極的な自殺。お酒を飲むとか、眠らないとか、車に飛びこんだり、とにかくめちゃくちゃなことをしました。それでも、誰かしらが助けてくれて死ねなかった。何をしても死ねないことが分かったら、荒れるのに疲れちゃったんです。それで、ふっと生きることを考えてみようかなって思いました。

★ヨーガとの出会い
お医者さんはいけないというけれど、運動をしてみよう!と思ったんです。思いっきり荒れて死ねなかったから、今度は精いっぱい生きる。自分の体を使ってとにかく治そうと思いました。最初に体操教室に行ったら「あなたには無理そうだから」といってヨーガ教室を紹介されました。翌日にはその教室に行って、「本当に何もできないかもしれないけど、とにかく治りたいんです。死ねないなら生き生きと生きていたい。半分死んでるように生きてるんだったら、生きてないほうがいいんです」って先生にお願いしました。

教室には週二回通いました。何のポーズもできなかったし、1回行くと3日くらい寝込んでしまう。その繰り返しでしたが、次第に寝込む日数が減り、いつしか寝込むこともなくなっていました。

★西洋医学への不信と強度ノイローゼ
ヨーガのおかげで少しずつ元気になってきた頃、母が脳腫瘍で倒れました。運ばれた病院で人の命よりも病院側の都合を優先するシステムを目の当たりにし、西洋医学への疑問を強く感じました。さらに、私のそれまでの生き方を考え直さざるを得ないところに追い込まれました。当時は、体が弱かったし、過去に生活保護を受けたりしたので、この世の中で信じられるのはお金だけだという思いが強かったのです。そのため、お金を稼ぐのにもってこいのモデルのアルバイトから芸能界に入ってナレーターやレポーターの仕事を始めていました。でも、死の淵に立った母を目の当たりにして、お金があっても何の役にも立たないという現実をつきつけられ、「お金が一番」という価値観が砕け散りました。そうしたら、芸能レポーターなんてまったく意味のないことに人生を費やしてきたのではないかと思い始めたんです。それで、今度は強度のノイローゼ状態になってしまいました。

★ノイローゼを乗り越えての再出発
外に出られず、食べられず、幻覚・幻聴がひどくなっていきました。友だちは「体の病気ではなく心の病気でまさみが死んでしまう」と思っていたそうです。こんな状態なのに、ヨーガだけには通い続けていました。正気の時間はヨーガをしている時だけ。家の外は怖くて怖くてたまらないのに、ヨーガに行こうと思う時だけ不思議と怖さがなくなったのです。幻覚・幻聴が消えて、心が静かになりました。その年の誕生日に、突然、私は生まれ変わりました。何かこれまで覆っていたものがすーっと抜けて行くような不思議な体験でした。幼少の頃の体験ゆえに、物質主義の塊のような心で自分を守り支えていなければ生きられなかった私の、唯一のよりどころだった価値観さえも爆破してしまったのです。

★人生の答えを求めて世界へ
このときから、私はあるがままの私で生きるために、どんな時も決して自分に嘘をつかないと心に誓ったのです。その次の日からマスコミの仕事をどんどん辞めていきました。心の中にあるたくさんの疑問、「幸せって、愛ってなんだろう」「お金で買えないものってあるのか」「人はなぜ生まれ、なんのために生きているのか」…などの答えを求めて、インドやネパールなど、世界を旅しました。



posted by Shanti Path at 00:20 | 不治の病をヨーガで克服!
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