カルマヨーガの考え方で人生を見る

ヨーガを長く続けてきても解決できなかった問題があったときに、グルーに出会いました。それは1993年の出来事です。

グルーに出会って私が最も幸せだったと思うことは、カルマヨーガの考え方を教えていただいたことですね。

カルマヨーガという考え方が体のなかに入ったときから、ほとんどの問題と悩みは解決しました。

あとは日常生活で起きるいろいろな小さな出来事に、自分の丹田力や想像力で上手に対応できるように少しずつなっていって、二次災害を起こすことがどんどん減りました。

カルマヨーガという考え方を人生のなかに持てるか、知らずに生きるか、その差はとてつもなく大きいものだと思います。

カルマヨーガとは、自分の行為を神様に献饌させていただくことであり、よい行いをお届けすることで、自分のなかの悪いもの、すなわち自分のどうにもならないカルマを、神様がひとつ消してくださることですね。

自分の心のなかに思いが芽生えた瞬間からカルマは作られています。カルマの連鎖の中で、とてつもないカルマを毎秒毎秒作り続けていて、どれだけ自分が努力したとしても、自分の作っているよくないカルマ以上によいカルマは作れっこないわけですから、どう考えても。

そういう人生で、自分の状態を客観的に見続けながら、動く瞑想として無私の作業をやらせていただくとき、それはよいカルマを作っていることになるのです。

カルマヨーガを心の底から神様にお届けする気持ちでやらせていただけたら、神様が一つといわずまとめて自分のなかの悪いカルマを取り去ってくれる。交換してくれるのです。素晴らしいですね。

外から見ていても、カルマヨーガを本当に一生懸命されている人たちはどんどんきれいになります。見ていて惚れ惚れするぐらいに光が通っていきます。
けれど、何かのきっかけでカルマヨーガをやめてしまうと、どんどん汚くなるのが誰の目にもはっきりわかる。

神様のお力というのは目には見えませんけれど、本当にすごいお働きがあるのです。当たり前ですけど、神様ですから。

自分の担当の神様が天上界にいらして、約束をして生まれてきました。
それは「完全無欠な魂になって帰りますから、修行をするために肉体をください」という約束ですね。

誰もがヒビがあり欠けがあるから、肉体をもらうことができているんです。
そのヒビ割れがどういうことかというのは、自分にしか分からないもので、それを完全に修復して天上界に戻りますという約束を全員がしてきたんです。

ですからその神様に献饌をさせていただくことは、努力がきちんと神様に伝わって、「あぁ、だんだんこのヒビ割れを修復しているね。じゃ、ちょっと大きいご褒美をあげようか」ということで、苦しい汚いカルマによって暴れる自分の心をものすごく楽にしてくれて、よいカルマと悪いカルマの入れ替えっこをしてくださるわけですから、きれいになるのは当たり前ですよね。

どういうことがあっても、このカルマヨーガの考え方で人生を見ることができれば、自分に負けるっていうことがなくなります。

何より人に理解してもらおうという気持ちが無意味だということに、だんだん気づいてきますね。
他人はわかりっこないんですよ、自分じゃないし、神様じゃないんですから。

神様には全部お見通しで、心の深いところに隠してばれないようにしているような思いも、神様には見えている。

だからこそ一番仲良くしたいのは自分の担当の神様であって、この関係こそが人生における縦軸で、絶対的な内的な関係です。そこだけを考えて、横の相対的な外的な関係のなかでの学びを高めていくと、今世は最高の人生だった、しっかりとした手ごたえがあって、よく自分と闘ったと思える生き方になります

カルマヨーガによって、最高の達成感と輝きで生涯を終えることができるような生き方をしましょう。

2019年3月14日(木)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ