メールの返信も「すぐに、直に、自分から」

シャンティパットを始めた頃は、私もパソコンを持っていませんでしたし、世の中にもこんなにインターネットが普及していませんでした。

もちろんスマホも携帯電話もない、ファックスさえもなかったんですね。

当時は、メンバーにお伝えしたいことがあるときは電話をかけていました。

全員が名簿を持っていて、暗黙の了解と倫理観のなかでみんなが名簿を丁寧に扱っていたので、私が誰かに電話して、その人がまた誰かに電話して、順番に自分の次は誰々に連絡するということを一人一人がやって、お伝えしなければならない連絡事項は全員に伝わっていたんですね。

それは本当によかったと思います。

ちゃんと相手の反応が分かるし、最後の人は「全員最後まで終わりました」と私に連絡をくれて、安心感がありました。

でもいまは、メーリングリストというのができて、ひとつのメーリングリストを使えば、そこに登録されている人全員にいっぺんに届くわけですね。

けれどお伝えしていることは、一対一でそれぞれに電話をかけているときと同じなんです、本当は。

もしもメーリングリストを使わないで、40人分のアドレスを一人ずつ順番に入れて、一人ずつに◯◯様と送ったメールだったら、分かりましたとか、読みましたとか、何らかの形で、連絡ありがとうございましたとか書くと思うんです。

私はシャンティパットの責任者で、インストラクターであり、スクールとしては校長の立場ですね。校長からあなたに個人的にメールがいったものを返信しない人がいるとは、ちょっと考えにくいですね。

けれど、これがいったんメーリングリストという形をとって、 「皆様へ」と書くと、もう一気に他人事ですね。返事はしなくてもいいものだと思い込んでいる。自分ではない誰かへ宛てたメッセージ、または「皆様」という漠然とした大勢の中に自分を埋もれさせる。

読んでも読まなくても、私には何の連絡もないので、読んだのか、読まないのかがわかりません。

例えばとても大切なメッセージをシェアした時も、どうしてもお伝えしたい重要性があるのでメールするのですが、なんのレスポンスもない。読んだのかな、読まないのかな。伝わったのかな、どうなのかな。パソコンは壊れていないかな、メールが届いたかな。と気がかりが続きます。
そこにやはり、受け手の鈍さというものをものすごく感じます。

思いやりの欠如と、想像力、集中力のなさ。自己保身。そのメールは、電話や手紙や会って一言伝えるのと内容的に何も変わらないのに、それを受け取った側がなんにもレスポンスしなくても平気でいられる鈍さが、本当に現代の病気だと思います。

その鈍さで日々を生きているということは、人として、どんどん指の間から大事なものを捨てているのに気付けないのだと思います。

相手のエネルギーの変化や表情の変化。もっと大きく考えれば地球の変化や宇宙の変化。
そういうものに対してさえ集中力がない、感じる感性が鈍い。

「すぐに、直に、自分から」という鉄則は、35年前からシャンティパットの一番大事な柱として掲げているにもかかわらず、大変残念ですね。

「皆様へ」が「◯◯様へ」だったらと置き換えて受け取る気持ち。自分の名前として読めるかどうかということが、日常の中の全てにおいて、限界を突破していく鍵だと思います。

どんなことにも他人事じゃない意識で生きていくとき、喜びは一万倍なんです。

他人の悲しみは、癒してあげたいという優しさがまた自分の中に一万倍育ちます。

他人事で生きているということは、自分のサイズ以下で生きるということですね。

そういう生き方は、自分のことも他人事ですから。自分のことさえも他人事みたいに生きているというのは、生きているうちに入らないというのが、私の中心にある考えです。

どんなことも自分の事として捉えて、「すぐに、直に、自分から」動くと、やはり神様はその積み重ねに必ずご褒美を用意してくれます。

人としてよりよく生きる。人間として大きくなる。

そしていつかは存在そのものが、居るだけでいいエネルギーが放たれて、必ず誰かを幸せにしているという実感が、自分の中にわくわくするようにあって、それが自分の生きていく最も大切な宝だと感じられる気持ちが育っていく。
そのためには、他人事の人生はだめなんですよ。

2019年1月12日(土)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ