小さなことをきっちりと丁寧に

新年会の翌日がキッズヨーガでした。

参加したキッズは、新年会の感想を参加しなかった人に伝えて、参加できなかったキッズは、新年の豊富を皆とシェアしました。

とても感動した一言がありました。

たっちゃんに「新年会どうだった?」と聞いたら「ご飯がものすごくおいしくてびっくりした。まゆちゃんも、いつも食べるのが遅くて、あまり食べないからお母さんが毎日心配していたのに、新年会ではモリモリ食べていてすごかった。ぼく思ったんだけれど、あれはご飯っていうよりも、お料理を食べているって気がしたんだ」って言ったんです。

素敵だなと思って。

彼はまだ生まれてから7年か8年ですから、自分が感じているものをピッタリの言葉で表すというのは、大人よりできないに決まっていますね。

でも彼は、新年会のランチがご飯というよりもお料理を食べている気持ちになった、という表現ができる感性で、1品持ち寄りの皆さんの真心がこもった料理を食べたことに私は驚きと共に感動したんですね。

特に今年の新年会の料理は、最初のプレートの盛り付けがお正月らしくてとても美しかったので、彼が余計にそういう気持ちを味わえたんだと思います。

たっちゃんのママは、お料理がとても上手ですから、毎日のごはんも大切にしていると思いますが、ご飯じゃなくてお料理を食べられた、と感じるだけの美しさとエネルギーが、新年会の料理にあったということです。

盛り付け方や、ちょっとした工夫とあしらいによって、ご飯がお料理に変化した。きめ細やかな、丁寧につくった味というものを、彼が感じたのだと思うんです。

私は、どんなことにおいても、とにかく限りなく美しさと完成度を上げていくことが、進化だと思っています。

白菜ひとつ漬けるのでも、ミカンを収穫するときのヘタの切り方ひとつとってもです。籠に入れたときに他のミカンを傷つけないように、ヘタの部分をギリギリまで切るとか。

本当に小さいことなんですけれど、それを丁寧にきっちりやると、全体が素晴らしく美しく見えるし、おいしく見える。
食べるものであればね。

そういう、小さい小さいこと。
雑巾がけひとつにしても、埃をはらうにしても、そこにもっともっとという、無駄を省いてでき上がりが最高の美しさを出すためにどうしたらよいか、と常に考える。

日常生活のありとあらゆる場面に、その気持ちはいつもあるので、結局は自分のなかの汚れを見るときに、とても役に立っています。

まだここは掃除が済んでいない部分、整理整頓が不完全であると感じたり、とりあえず整理整頓がついて埃がたまっていなくて風通しがよい部分、とわかったりするんですね。

たっちゃんの一言に、心が開かれるような大きな感動をもらいました。
今年は「立体的感性の拡大」ですから、いままでの取り組み姿勢、いままでの見方、感じ方では通用しない時代に入ったことを認識しましょう。

24時間練習するチャンスがあるので、そうすればもっともっと素敵な時間が増えていくと思いますし、子どもたちや、ほかの人たちの一言のなかから、自分が受けとれる感動というのも大きくなると思います。

2020年1月22日(水)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ