日本人の折り目正しさという美学

明治神宮が御鎮座百年を迎えています。その鎮座百年祭の記念事業で「明治神宮ミュージアム」ができて、館長さんの開館のごあいさつが新聞記事に掲載されていました。

その文章の最後に、展示された明治天皇、昭憲皇太后ゆかりの品々に宿る美しさ、そしてその美しさを生み出した、日本人の折り目正しさという美学もご覧くださいとありました。

私がずっと、言いたいことがあるけど、何と言っていいかわからないというもどかしさを感じつつ、靴のかかとを踏んではいけない、靴は下駄箱にちゃんとしまいなさい、食事の時にお醤油をペットボトルのまま使ってはいけません、年末年始や改まったご挨拶をする時にはコートは脱ぐものです、という日常的な具体的なことで言い続けてきたことの思いは、この言葉だったんだと、この文章を読んだ時にわかりました。

日本人の美しさを生み出した「折り目正しさという美学」です。

これは、日本人全体のDNAの中にあるものです。私は大好きです。
この折り目正しさという美学は、何につけても大切です。

それが美しいたたずまいをつくり、美しい生き方をつくり、美しい人生と社会の秩序を整えているのが日本ですね。

最近は、ややもすると失われつつあるという場面をたくさん見るので、ハラハラしたり心配したり、叱ったりせねばならないという気持ちになります。

なんとなく流れていく、なんとなく無意識に、忙しいから、時間がないからという言い訳に、なし崩し的にだらしないことがどんどんエスカレートしていってる感じがします。

折り目正しさという美学のなかには、目上の人に敬意を払う、子どもや弱いものをいたわるということも全部含まれますね。

もちろん親孝行をするのは当たり前というのも含まれますし、何もかもです。この一言で全部言えるってわかりました。

自分の日常の何気ない行動を振り返るときのひとつの指針として、折り目正しさというものがきちんと中心にある行動かどうか、照らし合わせてみると良いと思います。

自分の24時間、1週間を振り返ったときに、折り目正しさという美学を持って生きてきたかどうか。

それでもしも、漠然とした意識のなかに流されて、折り目正しくなかったと気付けば、明日からはより美しい折り目正しさという美学に則って生きることができると思います。

とても素晴らしい言葉です。

体のなかにあり過ぎて見つけられなかった言葉を、館長さんの記事を読んで知ることができました。これからはこの一言でいい、ということがよくわかりました。

2019年12月12日(木)夜のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ