人のことを深く想像できる美しさと豊かさと

先週の雨の日、アルタスに来るときに、道に、1歳か2歳ぐらいかな、男の子用のちっちゃいズックが落ちてたんですね。

それはただ、脱げて落っこちたまま、道の真ん中に転がってたのではなくて、そういう状態から誰かが気が付いて、踏まれないように、道の端っこにちょんと、置いてあったんです。

すごい雨が降っていて、ちっちゃい子が、靴が片っ方脱げちゃったんだなって。抱っこかおんぶをしてたときに、脱げちゃったんだなーって思いながら私はアルタスに来ました。

レッスンが終わって家に帰るときに、また同じ道を通って帰るので、靴はどうなったかなと思ったら、誰かが綺麗なジップロックに入れて、濡れないようにして、端っこの塀の上に置いてあったんです。

それはたぶん、通りすがりの人がたまたま持ってたジップロックに入れたのだと思います。

それを見たときに、日本人って本当にいいなぁと思いました。
転がってた1歳用か2歳用の、ちっちゃな男の子の靴を見て、なくした子供の気持ちを思ったり、お母さんの気持ちを思ったり、またはその靴自体がもったいないってことを考えたり。

それを新品のジップロックに入れて、濡れないようにしてあげようという行動をとる人がいて、なおかつそれを、もうちょっと目立つところに、塀の上にちょこんと置いておく、ということまでやれる人がいる。

そのことに、とても感動して、その日はジップロックに入った運動靴を見ただけで、なんとも言えない温かい気持ちになりました。

その数日後に同じ道を通ったときには、もう靴がなかったので、たぶん持主の所に帰ることができたのではないかと思います。

しかも、グチョグチョドロドロにならずに、まだ使える状態で戻ったのかなぁって、思いました。

小さいことですけど、人のことをどのくらい深く想像できるかっていうことが、やはり人としての豊かさであり、美しさであり、優しさだなぁって。

常々思ってることですけど、たまたまそのズックが、あまりにもちっちゃくて可愛かったので、余計にそういう気持ちになりました。

いつもそういう細やかな心、どんなに忙しい日常でも、瞬間瞬間に集中して生きていれば、そういう優しさや豊かさが消えることはありません。

誰かから見て、スピードがある人生でも、ひとつひとつに集中しているっていうことは、本人は忙しくないんですね。心に余裕がいつもある。

集中と没頭の連続なので、淡々と、ものすごく深く豊かに生きているのだろうと思います。

2020年7月2日(木)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ