自分以外のすべての存在は先生です

私はものを習うということが、すごく好きなんですね。

どんなことでも、自分よりもずっと極めた方について、ひとつひとつ手ほどきを受けながら練習を積み上げていって、そこで何か少しずつ自分が理解できるようになったり、体得して体が使えるようになったりしていく、そのプロセスがものすごく好きなんです。

そういう意味で考えると、マヘーシャナンダさんが来て下さって、サッチャダルマさんが1カ月遅れで来て下さって、そこからご指導頂けるようになったこと。東洋医学の先生や、栄養学の先生に出会ったり、霊能の獣医さんにも出会って、自分の想像力の限界を完全に超えた視点で三次元を見るということを教えて頂いたり。

とにかくいろいろな先生が私の周りに現れて下さって、ありとあらゆる角度から様々なことを手ほどきしながら教えてくださり始めたのが、2004年のセミナーくらいからだったと思うんですね。

多分それは受け皿としての私自身の、勉強したい、習いたい、もっと知りたいという気持ちがその頃から外へ向かって表面化したんだと思います。

それまでは死ぬか生きるかで精一杯だったので、とにかく明日も生きていることだけに自分が集中していたのだなということが、いまは分かります。

この時期は、私の準備が整っていなかったために、いま宝物をあげてもこの人は使いこなせないなと、通り過ぎて行った方もたくさんいらっしゃるのだと思います。

その後、自分の準備が整って、多くの教えて下さる方々と出会うことが出来たおかげで、自分自身の進化、向上があります。

この先もずっと、毎日々々積み上がっていくような意識で練習をしていきます。
生きることそのものが練習ですけどね。

自分が絶対的な人生をきちんと歩んでいくためにはどうしたらよいのかということを見据えて、そのために先生方からの教えと学びを自分の糧としていく。

そういうなかから気付いたエッセンスをみなさんとシェアしています。みなさん自身も自分の絶対的な人生を歩いていく、スタートを切るということを強く意識しましょう。

それが体の外へ匂うようになるのは、スタートを切るためにとても大事なことだと思います。

そのときに、「すぐに、じかに、自分から」という鉄則がありますね。

どんなことでも学びを深めたいという意識が出てくると、自分以外の全ての存在が先生なんだということへ最終的に行き着きます。

桜の花びらが散る様子を見ても、人生の深い所に気付けるときがある。
一本の木が枯れていく様を見ても、人生の意味を知ることが出来るときがある。

でもその意識がないと、現代はとにかくパソコンやスマホの画面を見る時間が長いので、青いライトを浴びて画面を見ている時間というのは、脳が完全に止まっている時間ですから。感性はどんどんあの青い光にやられていって、死んでしまいます。

積み上げるという強い気持ちが、画面に吸い取られてしまっているような感じに私には見えますね。

せっかくさゆらばなの素晴らしい環境がありますし、見えないエネルギーを毎日サッチャダルマさんが送って下さっていますし、グルーのサッチャナンダさんも天上界からもの凄いパワーを送って下さっています。

そのエネルギーのなかに、ありとあらゆるヒントが含まれていて、そのヒントの形というのは庭だったり空だったり畑だったり、レッスンだったり。
色んな形に変わっていますけれど、ものすごいヒントの宝庫ですね。

キャッチするかしないかは、自分の意識と心構えと決意次第かなと思います。

2019年3月30日(土)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ