グループーニマ(Guru Purnima)のプーニマは満月という意味。
インドでは、太陰暦の4番目の月であるアーシャーダ月の満月の日を、グループーニマとしています。グレゴリオ暦(太陽暦)のでは6月下旬から7月上旬にあたります。
この日は、グルー(師)に感謝を捧げるために、国中の弟子たちがグルーの元へ集まり、盛大に祝われます。
シャンティパットでは、今年は7月18日(日)に、紙や まさみのグルー、スワミ・サッチャナンダ師に対して、感謝の祈りを捧げます。
7月18日「グループーニマ」のお知らせ
「グルー」については、先々月の「お知らせ」でも取り上げました。
「グルー」との出会いが人生を変えます
シャンティパットメンバーが自主学習用に翻訳して学んでいる『カルマ・サニャーサ 〜家庭人のためのスピリチュアル・ライフ〜』に、「グルーの要素」という章があります。
参考になる文章をピックアップしました。ぜひ、ご一読ください。
- グルーは肉体的に存在するが、ずっと高い次元の領域で働いていることは間違いない。グルーとは、弟子を導くために、肉体という形をとって現れた神である。
- 私たちの制限された意識では、究極の真実の無限性を理解することはできない。そこで、グルーはあなたと交わることで、そのことに気づくよう導いてくれるのだ。グルーは、私たちと神の、真のつなぎ役である。
- 私たちは、神聖な力を直接感じとることはほとんどできない。それを認識できるほど覚醒していないからだ。そこでグルーが、仲介役を果たしてくれる。弟子は、まずはグルーを通して神の恩寵を受け取る。直接神の恩寵を受け取れるようになるまで、それができるのはグルーを通してのみである。
- グルーなしでは、人生でバランスと調和を保つことはほとんど不可能である。あなたが困難に直面したとき、あなたの霊的な価値を支え、人生の目的を理解させてくれるのは、グルーの導きに他ならない。グルーと一緒なら、言葉による長い講義は必要ない。グルーの存在だけで十分浄化され、霊験を与えてくれるのだ。
- グルーから何千マイルも離れたところに住み、10年に1回くらいしか会わなくても、世俗の世界で活発に生きていても、何をしていても、グルーの存在を意識していれば、彼の教えを仲介することは可能である。
- グルーをいつも連れ添っているような親友として、自分の鏡としてとらえるとよい。食事をすればグルーも一緒に食べている。映画を観れば彼も肩越しに観ている。眠れば側にいる。彼の存在について考えてはならない。いつも側にいるからといって、よく振舞おうと考えてはならない。自然のままでいることだ。自分の人格を自由に出すままにして、彼とともにいるようにする。彼は何も秘密のない最も近い友人だ。すると、しだいに彼の周波数とエネルギー領域に焦点が合ってくるだろう。彼の指導を認知し、理解できるようになるだろう。これがグルーに近づく方法だ。
昨年6月のSKBブログに「グループーニマでキールタンを!」のという投稿があります。
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