シャンティパットのメンバーは、日々カルマ・ヨーガに取り組んでいます。
カルマ・ヨーガは「無償の奉仕のヨーガ・行動のヨーガ」と言われています。
カルマ・ヨーガの ”カルマ” とは、サンスクリット語の ”Kri(する)” が語源で、「行為」や「行為の結果」を意味しています。
カルマ・ヨーガとは ── 日常生活の行為を行う中で、損得勘定に囚われず、見返りを求めず、結果を期待せず、なすべき役割や目の前に置かれた物事に無心で取り組む、神(宇宙)の望まれることに取り組む ── ことです。
カルマ・ヨーガは、「行為のヨーガ」とも呼ばれ、日常生活を通しての、生き方そのもののヨーガです。
▼ カルマ・ヨーガ
自己実現論や欲求五段階説、自己超越論などで有名なアメリカの心理学者、アブラハム・H・マズロー(1908-1970)の研究活動の中に、「完全なる人間」あるいは「最高の人格」についてリサーチがあります。
マズローは、「自分の目標を達成し、健康的で理想の人生を歩んでいる、自分という存在の理想を実現している人たち」へのインタビューを通して、彼ら/彼女らに共通してみられる特徴を調べました。
その研究成果とカルマ・ヨーガには、多くの共通点がありました。
いくつか引用してみます。
共通の特徴として、「受容」「自発性」「課題中心的」「超越性」「至高体験」「創造性」など10個以上が挙げられています。
この中の「課題中心的」ということについて:
人生において何らかの使命や、達成すべき任務、自分たち自身の問題ではない課題をもっていて、多くのエネルギーをそれに注いでいる。これは必ずしも彼らが好きで自ら選んだ仕事ではなく、彼らが自分の責任、義務、責務と感じている仕事であったりする。
それ故、我々は「彼らがしたいと思う仕事」という言い方をしないで、「彼らが成さねばらない仕事」という表現を用いるのである。
「課題中心」の反対は「自己中心」。
「自分がしたい仕事」にこだわり過ぎると、自己中心になってしまう。
自己中心から抜け出して、「成さねばらない仕事」をしているのが、最高の人格を実現している人たち。
「成さねばらない仕事」とは、「使命(ミッション)」と言い換えられるのではないでしょうか。
「最高の人格」の大きな特徴は、
・「自分の人生に与えられた使命、天命を日々まっとうしているという感覚」があること。
・自分についてはあまり関心がない。
・人から認められるとか、認められないとかに関心がない。
・そういう段階は超えていて、我を忘れて、自分の使命、天命に没頭している。
・「見えない世界」からの呼びかけ(コール)を全身に引き受けて、それに「レスポンス」しながら日々を生きている。
まさに、「無償の行為」そのものですね。さらに・・・、
水平次元で他者と比較する「相対幸福」ではなく、垂直次元の「絶対幸福」を手に入れるには、魂が深く満たされるかどうかという「内面性」が重要になる。
「魂のミッション」に日々没頭できているかどうか。
これも、ヨーガにおける「絶対的人生」「内的人生」についての話と同じです。
引用元:『完全なる人間 魂のめざすもの』(誠信書房)、『人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ』(産能大出版部)など。
最後に、もう一度、紙や まさみのメッセージから、要約して引用します。
私のグルーの師であるシヴァナンダさんは著書のなかで、カルマ・ヨーガというのは聖者にしか行えないものだと書いていらっしゃいます。
そういうレベルの高いヨーガであることは事実ですが(中略)我欲だらけの私たちでも、カルマ・ヨーガに取りかからなければ、何回生まれ変わっても本物のカルマ・ヨーガの境地に到達することはできません。私たちは小さな、そして低いレベルから少しずつカルマ・ヨーガに取り組んできました。
振り返ってみれば、褒められたいとか、自分がやったと言いたいとか、そういう気持ちが少しずつ、薄紙を剥ぐように少なくなっていることに気づきます。
ほんとに微々たる、かたつむりの歩みです。自分の持っている傾向性は、小さくはなるけれど生涯消えてなくなることはありません。
でも、そういう自分を知り続けることが大事です。
もう一人の自分が「またやってる。また失敗しちゃった。でも明日こそ、明後日こそ、次の瞬間こそ、次のチャンスこそ」と言いながら、自分との闘いにちょっとずつ勝っていくことしかないのだと思います。
いつかシヴァナンダさんのお書きになっているような、カルマ・ヨーガを淡々と行って、喜びを持って神様に捧げるという、ピュアな境地まで到達しましょう。
▼ カルマ・ヨーガ