サルサを教えていただいているベト先生が「ターンが4回くるくるくるくるって回れたり、ドルフィンとか体を回すとか、ああいうなめらかな動きはどうやったら早くできるようになるんですか? っていう質問をいろんなクラスで受けるんだよね。でも答はさ、やるしかないんだよね」っていわれました。
初心者は「そういうことじゃなくて、もっと早く上手くなるコツを教えてほしい」というらしいんですけれど、「コツも何も、とにかくやるしかないんだよ。答えはそれしかないんだよね」って。
本当に、やるしかないんですよね。
それはどんなことも全部同じだなぁと思います。
ヨーガもそうですし、自分の意識や集中力が途切れることがなくなるようになるのにも相当時間がかかります。
自分の体が、本当に自分の脳とつながってる実感が持てるまでにも時間がかかります。とにかく、ただひたすらやるしかない。
もっと内面的な話になれば、自分の持て余してる傾向性を鎮めようとするときに「なんか早くやっつける方法ないかな」と思うかもしれませんけど、それはひたすら観察を続けて、その傾向性の気配が見えたときに自分で「それはやめるって決めたよね」って自分にいうしかない。
これもひたすらやり続けるしかないのです。
その話のきっかけは、私の体が最近ものすごく柔らかくなったねってベト先生がおっしゃったことです。
「はじめは本当に、びくともしないぐらい硬かったけど、ここのところ急に、ものすごく柔らかくなったね」と。
途中で投げ出したいくらい、体がにっちもさっちも動かない、できない時間が10年くらいありました。
私の場合は10年かかりましたけど、10年でできたともいえますし、心のなかの問題だったら、それは死ぬまでにできれば二重丸かなっていうようなこともあります。
もしくは、心は世界一宇宙一速い乗り物なので、ハッと気づけば5分後にすっかり到達できるっていうこともあります。
でも、やるしかないっていうのは同じです。
そのときに大事なことは、間違ったまま100万回やっても10年経っても絶対にできるようにならないということです。
20年経っても絶対に到達できない境地がある。それは、間違ったやり方を一生懸命繰り返してるからですね。
なので、グル(師)の存在というものがいかに重要かというところに、本当にそこに行き着きますね。
ダンスだったら先生と呼びますけど、ヨーガの場合はグルと呼びますし、コーチングのコーチでもいいですけれど。
同じ地面に立っているのではなく、もっとずーっと高いところから全てを見て、全部を経験されて、全体を大きく広く分かっていて、なおかつ愛情を注いでくれてガイドしてくれる存在ですね。
そのグルの存在がなければ、やるしかないと思って毎日練習して毎日頑張っても、どれほど頑張っても、本質をつかめていないからちっとも進歩がないんです。
ですから人生という意味で言えば、グルに出会えた幸せというのは本当にたとえようもないくらいに、自分の人生がよりよい方向へガイドされていく。
それこそが絶対的な人生を歩き始めることだし、その絶対的な人生に、少しずつ進歩と向上がもたらされるということにつながりますね。
2019年3月28日(木)朝のレッスンで
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ