昨日の夜のクラスに、久しく私のレッスンに出ていない人が来て、久しぶりに会ったらとても太っていたので絶句して。10kgは太ったと思うんです。
予約もせずに飛び込んで来たのは、あまりに腰が痛くて動けなくなったという理由で。
世の中だと、50歳くらいになると体のいろんな所が痛くなってくるのは当たり前みたいな風潮があるのかも知れません。彼女もそれはしょうがないのかなぁと思うと言っていました。が、私の想像力のなかにはないことなのでそれは全くよくわかりません。
気づかないうちに、心がまず面倒くさいになって、チャレンジする気持ちがなくなって、まぁこんなもんかなと、どこか痛いのと一緒に生きて、年寄りになって死んでいくのだろうって、そんな風に思っている。
ヨーガをやっていなければ、そこで医者にかかって手術だとか言われて、手術をしたらもっと悪くなって、どんどん動けなくなる、そういう考え方だったら60歳はもう人生の墓場ですよ、という話しをしました。
自分の人生は自分次第ですから、自分の思い通りに、自分が決めているんです。
どんな体でどのように生きて、どういう風に神様を味方に付けて、実力以上のものを「おぉ偉いね、頑張ったね、ご褒美だよ」って、ポンポンポンポン頂けるようにしていくのか。
それには絶対的な筋力というのが必要ですし、頭の中も常に集中力を持って生きていないとそういう風に展開していかない。
「面倒くさい」という気持ちがあったら脳は溶けていくし、脂肪はどんどん付くし筋肉はみるみる細くなる、40代半ばからは、あれよあれよという間の雪だるまが転がっていくような転がり方をするんですね。
そこで本当にお伝えしたいと思います。
人生は自分次第です。世の中の通念は関係ないの。
通念は単なるマジョリティであって、神様と自分と一対一という関係は、人間が60億いようが70億いようが、二つと同じものはないんです。
自分と自分の神様だけの世界にいて、その神様がずっと見ていて、宿題忘れていないだろうねっていう目でご覧になっていてくださるなかで、その宿題を完全にやり遂げていこうとする気持ち、やり遂げ方というのは、誰も見張ってくれないので自分しかないんです。
私は立場上、皆さんに限りなく負荷をかけて仁王立ちして見張っていますけど、私に会うのは週二回たった二時間しかないわけで。それ以外は見張りなしですよね。
やっぱり自分しか自分のことを調教できませんし、見張れないので、なんとしても最後の最後までちゃんと自分の二本の足で立って歩いて、誰にも寄りかからず、限りなく人を愛し尽くして、分け与え続けて、それで最高のご褒美だよって天上界にスッと一瞬のうちに引き上げてもらう。
で、次の椅子が用意されているという生き方ですね。
暑いですけれど、暑さとか寒さとか口実と言い訳はいくらでもありますけれど、そういうなかで本当に自分しか自分の人生を作り上げることは出来ないんだということを、常に忘れないようにしたいと思います。
自分次第ですよ。どうにでもなります人生は。
好きなように生きられる。
そして必要であれば、神様が何でもご用意して下さる。
そういう生き方を、わくわくしながら生きるということを、シャンティパットは目指しています。
2019年8月3日(土)朝のレッスンで
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ