今を生きるために、過去に対する執着を捨てる

今回のタットワ・シュッディのワークショップで、サーダナをやるのは自分の人生が変わるため、それは今日からすぐに日常生活がよい方向に具体的に変化していくことを示す、ということの理解が大分進んだように思います。

それに伴って、実際に日常でやるべきことも、はっきりしたと思うんです。

そういう風に前向きに進んでいくと決めて、皆さんがサーダナも一生懸命取り組んでいるし、日常生活の役に立たせようと思っているにも関わらず、その進歩を止めているものがあります。

それがあると、いくらアクセルを踏んでも前に進めない。
何でしょうか?

前に向かって進もうとしているのに、目指す星に向かって歩いて行こう、上がっていこうとしているのに、その力をものすごい勢いで消してしまうもの、それは過去への執着ですね。

過去に対する執着が強すぎる。過去は過ぎ去ったって書くでしょ。
過ぎ去って終わってしまったことなんですよ。

終わってしまったことを、去年はよかったとか、前回のあれはよかったとか、だから今回もこうしようとか。
前回それで失敗したから、同じことをするとまた失敗するとか。

でもそれは終わったことですね。過去に済んでしまったこと。

過去に過ぎてしまったことは、自分の養分以外の何ものでもないです。
それは大事な経験ですから、素晴らしいことなんですね。

過去の経験のなかから、感情を切り捨て、事実のなかから学んだエッセンスだけを自分の養分とする。

考え方を豊かにするために活かすべきなのに、過去に対する執着が強いと、前に向かって進もうとしている力が、全部過去に対する執着に吸収されちゃって全く前に出ない。

未来のこと、将来のこと、今やるべきこと、この瞬間も見えていない。

今という瞬間を、今この目で見ればいいのに、常に過去と比べて今を見ているから、それは今を見ていることにはならないんです。

目指す将来の、未来の星っていうのはキラキラとずっと輝き続けているにも関わらず、過去に照らし合わせているのなら、それは未来の星を見ていることにはならないですね。

何より一番大きい弊害は、過去に対する執着は「今、ここ」っていう自分の生きてるこの瞬間の、意識がゼロになるということです。

一瞬一瞬、今この瞬間に集中してやるべきことをやり尽くすと、過去への執着というのはほとんど意識に上ってこない。

なぜなら燃焼したからです。やり尽くした。
瞬間ごとに、やり尽くした、やり切ったという思いで過ぎていくので、意識は、更に今を生き切ることだけにフォーカスする。

すでに皆さんの頭のなかにヒントがたくさん情報としてもあるし、学んだことを、もっとこうするんだ、ああするんだと、今この瞬間に活かすために、どうしたらいいかっていうところにエネルギーが向いて、実際に自分の日常が変化する。

過去の成功例と同じことをやろうとしたときには、自分のなかでの負荷がない。安全パイだから。そこには衝突が起きないんですよね。

自分と自分の負荷っていう衝突が起きないので、やはり進化は起きません。

進化というのは、皆さん勉強したように、何かと何かのエネルギーがぶつかり合うことで、壊されて新しい何かが生まれるときに起こります。

大成功したから、去年と同じことをやりますでは、どこにも負荷がかからない。それでは進化も、何も生まれないです。後退です。現状維持は後退ですから。

そういうことを、日常のなかで自分が気づいていくことが大事だと思います。

自分の話している言葉をよく聞いて、これは単なる過去の踏襲で後退だなって自分で気づくと、過去に対する執着に縛られている限り、今というのは何も見えていないことに気づきます。

ここがクリアできると、相当いいと思います。

ほかのことは、毎朝のサーダナを何のためにやるのか、ということをきちっと確認できるようになったので、日々進化して、気づきのなかで何のためにっていう言葉も、多分変化していってると思います。

それが人生を高めていると思います。

今、早速取り組むべきことは、今を生きるためには過去に対する執着を捨てる、というこのことを自分の言葉に変えて、自分の日常でどういうことが起きているかを点検することです。

2020年9月6日(日)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ
シャンティパット主宰
紙や まさみ