大きな愛が自分のなかで育っていくこと 

去年の12月5日に突然、自宅のピンポンが鳴って、見ず知らずのハビエル君が私のドアを叩いてから、12月31日までさゆらばなにずっと滞在していました。

その間、とてもたくさんのことを感じました。

かつて世界のいろんな国々を旅をしたときに、逆の立場で全く見ず知らずの私を、家に連れていって泊めてくださった方々がたくさんいました。

その方々にはもう会うことができないので、ご恩は一生お返しできないものとして、私のなかに担いでいる荷物のひとつになっていたのですけれど、ハビエル君が私のドアを叩いてくれたお陰で、彼に滞在中の衣服を貸し、ご飯をつくって、宿を提供して一緒に暮らして、作業もずいぶん手伝ってはもらいましたけれど、自分が生きている間に、この様な恩返しをさせてもらえて本当によかったと思いました。

私のなかで、それが一番大きかったですね。

かつてお世話になった方々への恩返しという気持ちだったので、ハビエル君という人のために、ということは全く考えませんでした。いろんな方々が彼の姿に重なりあって、自分の20年間の旅の経験がまざまざと体のなかに感覚的に蘇ってきた時間でした。

気づいた事もたくさんあります。
こちらが世話する側になると、もうちょっとここでこういう動きをしてほしかったなとか、こういう一言が大事じゃないのとか、いろんなことを思うので、それは全部自分が反対の立場だったときにできなかったことですね。

私もそれをやらずに、その一言を言うことに気がつかないでお世話になってきたんだな、それにも関わらず、ずっと温かく私を受け入れてくださった世界の方々がいらしたんだと思うと、死ぬまで修行っていうのはまさにこのことねと、しみじみ感じました。

ヨーガは、日常生活そのものを変えていくといつもお話していますけれど、どこかでまだその24時間が、自分の心の在り方と密着していない部分があるように見えるんですね。

思いがけないときに、自分の心のなかにどのくらい平和があり愛があり、気づきがあるかということのためにヨーガをやっている。それが一番大事なことだと思います。

ハビエル君の登場によって、私が26日間自分を観察してみると、過去の、自分のわがままで、体が弱かったせいにしたり、人のせいにしていたから見えなかった部分や、気がつけなかった相手の心の動きが、今は手に取るようにわかるようになりました。

わかるようになった以上は、それを上回るためには、同じことを相手に求めないことだと感じたので、私はそういう発想を持たないくらい大きな愛が自分のなかで育っていくように、もっともっと追及したいと思いました。

令和2年になりまして、心のなかにあるものが、さらにそのまま形になって表れる時代に入ったので、もっともっとスピードが上がる分、自分がなぜヨーガをやっているのか、ということを忘れないようにしたいですね。

日常生活で、常に心は余裕があるということです。
それは、もちろん元気があるということですし、余裕があれば人のことがよく見えるし、自分のことも客観的に、とにかく他人みたいに見続けることができる。

そういう精神的な豊かさのために体を鍛えているのだということですね。

これを去年よりもっと強く意識すれば、令和の波に乗って、本当に手応えのある1年になるという予感が強くあります。

世の中でもそういう動きがたくさんあって、同じことをおっしゃっている方が多勢います。みんな一緒に令和の波に乗りましょう。

2020年1月8日(水)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ