心というエネルギーを支えているのは筋肉です

タットワ・シュッディの経典のなかでは、心はエネルギーであると定義されています。

確かに心はエネルギーでもありますけれど、私は、心は筋肉でもあると常々思っています。

体を支える筋肉が、強くてバランスがよくて、自分の力で体をきちんと支えて上手にコントロールできるときは、心もその筋肉によって支えられて、暴れる心に、暴れてはいけないと言い聞かせやすい。

でも体の筋肉のバランスが悪かったり、筋肉自体が衰えてきたりすると、自分の体も自分で思うように支えられなくなって、心にもその不都合が伸し掛かってくる。

心は、支えてくれる筋肉がないので暴れ放題。
心というのは、とにかくどうにもならないものなんですよ。ものすごい暴れ馬なんですね。我欲だらけです。

しかも脈絡なく暴れ続けるものだから、暴れ続ける心に自分自身が乗っ取られて翻弄され続ける。

けれど、筋肉があれば、心を押さえつけるのではなく、空に浮かんだ凧に糸が繋がっている感じですね。凧を捕まえることは出来ないので。

凧が飛んでいかないように、筋肉でちゃんと糸をコントロールできます。

凧の糸を上手に引っ張ったり、少し遠くに行かせたりしながら、筋肉が丁度よい距離感で心を手なずけて扱っていくことができる。

それをきちんとやりながら、なおかつ心はエネルギーである、というのは次のステップですね。

筋肉でいくら支えていても、本質的にはエネルギーの割合、エネルギーの質、粗いエネルギー、細かいエネルギー、もっともっと微細なエネルギー、感覚できないほどに細かいエネルギーというものの配合次第で、心がどういう状態であるかと、だんだん分かってきますね。

心はエネルギーであるということを勉強しつつ、それを支えているのは筋肉という、両方のアプローチから自分の心を客観的に飼いならしていく。

心の中のエネルギーのクオリティが下がったり、粗いエネルギーだけがいっぱいのときには、自分の最大限の筋力を使っても、心の手綱を持っているこちらが跳ね返されるか、凧にくっついて飛んでいってしまうか、というような力を持つものだと。

そのために、まず心を支えている筋肉の強さが必要なのです。

それによって、事実と感情を切り離すのがやりやすくなると思います。

タットワ・シュッディでは、事実と感情を切り離せない原因は何かというディスカッションをしましたけれど、切り離すというアプローチは、もうやめましょう。

それは無理だから、不可能。
事実だけを探すっていう見方ですね。全てにおいて、事実だけを探す。
事実は何か、と探していく。

出来事の事実を探す。
反応した心のなかにある、感情の事実だけを探していく。

自分の心の状態の、事実は何かと知り続ける、探求し続ける。
簡単にいうと、そういうことで悩みがなくなるんです。

悩みがあるというときに、疑わなければならないのは、自分は感情のなかにどっぷり浸って泳いでいる、感情に溺れているだけで、事実は一切見ていないということです。
それに気づけると、だいぶ楽になると思います。

いずれにしても、とにかく死ぬまでです。筋力は、絶対に落とせない。

筋力あってこそのエネルギーであり、エネルギーを支えているのは筋肉です。

なぜならいま、3次元で生きているからです。
肉体というものを持って生きている現状だからです。

一息10秒という基本を丁寧にして、そのときに集中するという力を一息ごとに高めていく。

本当の初歩のごくごく基本中の基本ですけれど、この基本が一番重要なポイントであるということは紛れもない事実ですね。

そういう姿勢で、今日も自分の体を整えましょう。

       2020年7月29日(水)

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ