自己保身はくだらないと思えるまで

リトリートのサットサンガで、なぜそんなに自己保身の気持ちが強いのですか? という質問に対しての皆さんの答えがとても印象的でした。

びっくりしたというか、えー!? そうなんだって思いましたけれど、自分はどうだったんだろう? ということを家に帰ってから振り返ってみました。

かつて私もそうでした。プライドも半端じゃなく高かったですし、自己保身の塊のような時代は、結構長かったなって思い出しました。

何でそれが、本当に忽然と消えてしまったようにすっかり忘れている感覚になったんだろうと、つらつらと人生を振り返ってみたんです。

ヨーガを教え始めたのは1985年ですから、3年目くらい、まだピーチハイムの頃ですね。思えばたいしたことのない誰かの一言が、私のどうにもならない怒りとも違う、なんというんでしょうね、やってられないわ!っていう気持ちに触れて、貼り紙一枚で逃亡したことがあったんです。

「もうレッスンはしません」ってドアに書いて、その日に家出をしたんです。自分の家ですから家出といっても誰もいないんですけれど、誰にも連絡先を言わないで、逃げた。

その時は夜だったので、羽田に着いて、いまから行ける東京から一番遠いところはどこですか? って聞いたら、北海道か福岡と言われたので、北海道は秋で寒そうだからじゃあ福岡行きを下さいと言って飛び乗って、翌朝に人がいなさそうなところはないかと思っていたら「地球の中で宇宙を感じる場所・塚原高原」というパンフレットが目に入って、塚原というところに行ってみようと思ったんですね。

そこで4日間くらいずーっと湯治場の古い汚い3畳の部屋に籠って、なぜこういう愚かな行動をとったのかと、心のなかにあるものを、紙と鉛筆で円グラフに書き文章に書いたり箇条書きにしたりしているうちに、自分の心のなかにある邪魔なものがわかったんですね。

その時に私は決意しました。絶対にこれを捨ててみせる!

自分との闘いが自分のなかで始まって、猛烈に、絶対に自分を許さないという強力な力をそこに向けて、闘う日々。
「負けん気を自分に向ける」
「最大の敵は自分である」
という「まさみ語」が、ガンガン出てきた時期です。

すっかり消えることはないですよ、肉体ですから。肉体のなかに潜んではいるんですけれど、そういう気持ちが自分の心に表面化してこないというか、のさばってこない。

常にもっと大事なことに目を向けて、見続けるようなトレーニングですね。
そうなってから、忘れている感覚ですね、自己保身というのは。

何で忘れたか。もちろん捨てるって決めて、癖の矯正のために、毎日必死で闘ったからです。

これは人に言われても無理です。

自分がちゃんと考えて、何枚も紙に円グラフとかいろんな書き方をして、痛いほどによくわかって、完全に腑に落ちて納得したんです。

それからは、出てくる自己保身と闘っているうちに闘うようなものじゃないんだ、本当にくだらないんだ、ということがわかった時に自己保身が消えた。

私の場合はそうでした。皆さんはどういう流れをとるかわかりませんが、やはり自分できちんと納得しない限りは、漠然としたままいろんなサーダナをやってもそれは無理だと思います。

まずは、脳が手放そうとしませんから、脳に教えないといけない。
ちゃんと計算した答えを、それが正解だねって脳が覚えるまでは、徹底的に言い続ける。そういう手順をきちんとする必要があると思います。

それをやったことはとても良かったと思っていますけれど、いまは、もっと大事な別のアプローチの仕方があったなと、わかります。

自己保身というのは、自分が自分の身を守ろうとすることですね。

神様が、どのくらいのスケールと細かさと計算しつくされた愛情で私を守っているか、ということに実感が出てきてから、自分で自分を守ろうとするなんてまったく、本当にくだらないということが、わかったんです。

それよりも、何もかも神様のおはからいのなかで起きていることで、神様から愛されているのは、何よりも明らかなのだから。愛されているから生まれて来られた。

その愛を受けていなければ、生まれて来られないですからね。
肉体をいただく許可がもらえないんですから。

そういう計り知れない愛情のもとに自分がある、ということだけわかれば、自分が自分を守ろうなんて、そのことに時間やエネルギーを使うなんていかにばかばかしいか。

それがわかって、すっかり消えましたね。思い出すこともない。

そうすると、ちゃんとエネルギーを使うべきところにもっと使わなきゃいけないことがわかるし、やるべきことのために無駄なくきちんと、自分の意識を集中できるし、エネルギーを送ることができる。

それによって、さらによいエネルギーの循環が生まれてくる。
とても自然な感じで、それが当たり前になる。

みなさんがあと一息解放されない、そのもとにあるのが自己保身という気持ちです。

それが如何にくだらないことか、実感を持てるように整理整頓して考えて納得することが、やはりとても大事だと思います。

 

2019年9月18日(水)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ