限りなく深く、限りなく軽やかに

知り合いにバレエと歌をやってる人がいて、彼女が「踊りで、観客に軽く見せる時が、踊る側は一番力が必要なの」って言ってました。

歌う時も、「軽やかに聞こえるように歌おうとする時は、体のなかにものすごく力がいるの」って言っていて。

見る側はその時に、軽やかね~って感じるけれど、やる側は軽やかに見せる時が、一番とにかく大変なんだっていうことを聞いて、何でもほんとに同じだなぁと思いました。

彼女が私に「ヨガのポーズもそうでしょ?」って。

「軽やかにやってるみたいだけど、やってる側が軽くやると、膝が伸びなかったり、手が上がらなかったりするんでしょ?」って言うから、「そうですね」って。

まさに、アーサナひとつとっても、それを軽やかに伸びやかに見えるようにやろうとする時には、重たく見えるポーズよりも、何倍も力がいりますね。

支えとなる丹田や足というビンを持つ手になる部分にとても強い力を入れないと、軽やかなポーズには見えない。

私はフレンチが好きで、料理を作る時も、だいたいバターを8箱は使うんですね。8箱ですよ。200gを8箱って、1.6㎏のバターが料理のなかに跡形もなく溶けて消えてしまうんです。

けれど食べた人が、バターをそんなに使ってるって誰も気がつかないくらい、バターの味さえしないんですよ。

ほんとに軽やかで。シュワーって味が口のなかで溶けちゃうんですね。

そこに、やっぱりフレンチならではの料理法があって、1.6㎏を感じさせない軽やかさを最終的に生む。

何でもほんとに同じことなんだなぁ、って思いました。

大変なことを大変そうにやる人と、大変なことを何でもないみたいにできる人、というのがいて。

ものすごい大変なことを、何でもないことのようにできるのが、相当かっこいいと、私は常々思っています。

それは結構小さい頃から憧れがあって、そういうふうにいつかなりたいなぁって思う気持ちが強かったので、たとえばアーサナが好きっていうのも、そのようなところに繋がってると思います。

自分を自分の筋肉でしっかり支える。

歩く姿や立ち居振る舞いが、羽のように軽やかに見えると素敵だなって思う気持ちですね。

心のなかも、問題が大きければ大きいほど、苦しい問題であればあるほど、軽やかに受け止めているかのように見える。

実際、いつかは、それはほんとに何でもないことだよ、こうすれば、ただやるだけじゃん、っていう軽やかさで受け止められるようになる、ということが、本当に素敵で、最高にかっこいいと、今でも思い続けています。

いろんなことを繋げて考えていくと、生きてることのすべてが、ほんとにシンプルで、やることは決まってるなぁって思いますね。

そのための体力であり、そのための内的人生であり。

そのために、神様とは何か、自分は誰か、ヨーガの究極の命題であることを考え続ける、知ろうとする、探究していくことがあるんだなっていう気がしますね。

目指すところは、限りなく深い。

けれど、限りなく軽やかであること。

シャンティパットを創立した時に、もうそんなことを語っていたので、ずーっと思い続けてるテーマです。

素敵に生きるという私の価値観のなかでは、これを上回ることはないだろうと思います。

限りなく深く、限りなく軽やかに。

そのための筋肉づくりと、エネルギーの増幅であり、気づきの回路なんだなと思います。

2021年2月24日(水) 朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ