私はガラス製品とか陶器とか、壊れるものがすごく好きなんですね。
扱いを間違えると必ず壊れるということがわかりきっている物なので、多分その緊張感にときめくのだと思います。
日本の焼き物だと、京焼の清水焼とかは絵付けがとても繊細だったり自由だったり色も奔放だったり、永い永い昔の日本の伝統を踏襲していたり、美しいなと思うものがたくさんあります。
海外だとなんといってもイギリスのシェリー社のお皿やカップ、絵が本当にかわいくて、本物みたいなかわいらしいお花が描かれていたり、直線的なアール・デコの絵付けが非常に素晴らしいですね。
アンティークですから100年くらい経っている物なので、落としたりぶつけたりしなくても、洗う時のちょっとした角度によってパリって割れたりするんです。
それはもう100年経った陶器の宿命なのかなと思って、以前はアロンアルファなどで貼り付けて、食器には使えないので飾っていました。
最近、新潟の素晴らしい金継ぎ(きんつぎ)の職人さんをネットで見つけて連絡するようになって、アロンアルファで付けて使用を諦めていたいくつかの陶器の修復をお願いしたんですね。
そしたら戻ってきたものが、プラチナと金で継いで食事に使っても大丈夫っていう素晴らしいもので、また新しい命が吹きこまれて本当に芸術だなと思いましたね。
日本にいつから金継ぎという技法が生まれたのか私は調べていないのでよくわかりませんけれど、一度壊れてしまった物を金で継いで、また新しい芸術作品として使えるようにして、なおかつ継ぐ前よりも新たな美しさを醸し出すというこの技術に、本当に感動しました。
物を大切にするという、そもそもの日本人の豊かさからの発想で生まれた金継ぎという技法だと思いますけれど、考えれば考えるほど、そして見て感じれば感じるほど、日本人の優しさとか、おもてなしの心とか美しさを求める心とか、本当の豊かさというのはこういうことなのではないかと。
ひとつの物を大切に大切に、愛でて使い続けていく。
私のアンティークの英国のティーカップもですね、見事に金継ぎで蘇って、また朝食のハーブティをちゃんと容れて、しかもおいしいエネルギーを出してくれています。
そして、壊れやすものが好きだから、人間が好きなのかなってことも考えました。
人間の心というのは本当に壊れやすい。
今までずっと培ってきたものも、たった一言で壊れていく、離れていくものなので、心の金継ぎというのはどういうことなのかなと、今朝はつらつらそんなことを考えていました。
2022年3月10日(木)朝のレッスンで
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ