年間のイベントや作業を通じて、私が最もワクワクするのが紅茶をつくることなんですね。
さゆらばなで行うイベントはいつでも素晴らしい感動があって、ドキドキ、ワクワク楽しい事ばかりなんですけど、その中でもとりわけ紅茶作りがなぜそんなにシビれるのかなぁと思って、自分を観察してみたら、究極の集中力を使うからですね。
他のイベントや作業は、そこまでの集中力を使って自然の動きと対話し続けなくても、気温の変化や天候がそんなにまでハッキリと、できあがりに影響を与えません。
でも紅茶は、摘むときからですけれど、とにかく早く沢山摘みたいと思ってすごい集中力で脳と手を連動させる。
そのときの、β-エンドルフィンの出方。
茶葉を揉むときの重心の位置と、指や手のひらにかける圧によって揉みのスピードや茶葉の様子が変化していく楽しさ。
一番ドキドキするのは発酵ですね。
直射日光を浴びている閉め切った車の中で発酵させるのですが、その日の気温、湿度、風の吹き方、車の形やフロントガラスの角度、それと太陽の位置やパワーが、かなり微妙に発酵状態を変えていくので、何とも言えない緊張感を持ったときめきがあります。
もちろん危機感も持っています。これで失敗したらおじゃんになる、という危機感と背中合わせのスリリングさがもたらす、究極の集中力ですね。
全部の判断を、瞬間々々に変えていかなければならない。
一旦決めても、次の瞬間に空が曇ってくれば発酵時間をもうちょっと長くしなければならないとか、日が強くなってくれば短くしたほうが良いという判断をどんどん変化させなければならないので、出来上がるまでずっと集中しています。
発酵が終わると、今度は発酵止めです。
発酵止めも時間とエネルギーが勝負なので、5秒長かったら発酵止めが行き過ぎて焦げるし、5秒短いと青臭さが残り甘い香りが出ません。
その見極めに五感を究極まで研ぎ澄ましています。
ある一瞬にプーンといい香りがほのかに立つ瞬間があるんですね。そこでバチッと止めないといけないので、そのときも本当にそのことだけしか考えていない集中力でないと、その微かなほのかな香りの変化というのが捕まえられないんです。
最高の状態で発酵を止めて、次は乾燥ですね。
乾燥も、ホットカーペットの目盛りを変えたり、茶葉の広げ方を変えたり、少し浮かせてテーブルの上はどうか、ただのカーペットの上はどうか、新聞紙に直はどうか。
浴槽の乾燥機をかけたり、除湿機を持ち込んで、その浴槽の上に広げて乾燥させるのはどうかとか。
色々やりましたけど、それらも本当に天候次第で、外の湿度がどの位あるのかや、気温そのものがどうなのか、茶葉の硬さや柔らかさ、茶葉に残っている水分量で、どこでどういう形で乾燥させると美味しいかというのも前例を踏襲できないのです。
一発勝負で今日限りのこの全部の条件のなかで、最高の紅茶をつくるにはどうしたらよいかという判断を迫られ続けるんですね。
完成品の完璧なイメージは出来上がっていますから。
注いだときに立ちのぼる何とも言えない澄んだ香りと、色は薄くてよいので口に含んだときの上品な甘さ。
そして抽出時間が5分位。ポットの中に残っていると、段々紅茶の色が濃く出て、注いだときカップに金の輪っかが立つ。
その通りのお茶にしたいと思うから、茶摘みからカップにゴールデンリングが立つのを見て味わうまで、その作業中、緊張と集中がずっーと続くんですね。
これほど瞬間々々の判断力と集中力を求められる作業はそうそうなくて、紅茶づくりは、生きているという感じを味わわせてくれます。
何とも言えない最高のワクワク感があります。
私はそういう負荷がグーッとかかったときに、半端じゃない量の快感ホルモンが出るタイプなので、このホルモンを出させてくれるものにワクワクするんだなと思います。
ですから、何となくやることとか、ルーティンというのは一切そういうホルモンが出ないので、退屈極まりないわけですよ。
生きているということは、外から見れば毎日同じことをやるんですけれど、だからこそ、朝起きてカーテン開けて顔を洗って歯を磨いてということを、この位の集中力と感性でやれれば、毎秒々々毎日々々が最高のワクワク感で、最高の紅茶をつくっているような感覚で毎日を生きていける、ということだと思いました。
それって素敵ですね。
ここまではとても難しいかもしれませんけれど、楽をしたい、負荷をなるべく避けようと思う時には、ワクワク感は人生からすっかり消えるということです。
ここが大事だと思いますね。
ワクワク生きたい、キラキラ生きたい、楽しい日々を生きたいと思うのなら、自分にかける負荷をどんどん大きくしていく。
負荷を求めていく姿勢こそが、生きている充実感、ワクワク感と、あなたの達成感や輝きを生むんですね。
2019年4月27日(土)朝のレッスンで
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ