「行ってきます」「ただいま」の挨拶には意味があります

先日、知り合いの家に行きました。
夕方だったので、部屋に明かりはついています。子どもが帰ってきて、黙って部屋に入ってきました。私が「お帰りなさい」って言ったら「ただいま」って答えたんですが、すごく違和感がありました。

私は一人暮らしですけど、家を出る時には「行ってきます」って部屋に言うんですね。帰ってきた時は必ず「ただいま」と言って玄関に入るんです。

昔はモモがいたので、モモに向かって言ってるような感じでしたけど、今は誰もいません。でも、誰もいないという考えが非常に物質的であると思うのです。

家のなかには神棚もあります。
ということは、神様が家を守ってくれているわけですね、ずっと24時間365日。

仏壇もあります。仏壇のなかには、父方のご先祖様の位牌もあるし、母方のご先祖様の位牌もあって父も母も入っている。

お位牌は仏壇のなかに入っていますけれど、実際は私を守って下さる力として働いて下さるご先祖様方が家のなかにいる、という感じがいつもしています。

だから黙って家に入るってことはできなくて、必ず「ただいま」と言ってから入るし、出かける時は「行ってきます」と言うんです。

これは絶対に、子どもたちに躾けるべきことだと思いますね。

こういう物騒な世の中だと、万が一、何か悪さをしようという輩が子どものあとをつけてきたとします。子どもが鍵を開けて家に入るとき、ドアを開けて「ただいま」と言って入れば、「あ、もしかしたら家には親がいるのかな」とその言葉を聞いて感じますね。それによって命の危険から免れるってこともあります。

「行ってきます」って言うのも同様ですね。「空き巣に入ろうかな」と思った輩がいたとしても「行ってきます」って部屋に向かって声をかけて出ていけば「あ、まだ誰かいるのかな」という、そういうオマケの安全もあります。

でも第一はやはり、見えないもののおかげで自分が元気で身を守られていて、毎日が幸せで健康であるんだ、ということの教えのために。

それが習慣として身につくように、家族がいてもいなくても、一人で帰ってきても誰もいなくても「ただいま」と言ってドアを開ける。「行ってきます」と言ってドアを閉める。

小さいことですけど、大人になってその意味を本人が考えたとき、あぁ、見えないもののご加護によって、自分の身の安全が守られているんだな、と。

そして見えない方向性の導きもいただいているんだな、っていうこともわかる。「見えない世界」ということに思考がいきやすい。

ですけど、そういうことを一切教えないで、「人がいるときには、ただいまって言いなさい」、「ごはん食べるときには、いただきますって言いなさい」というような即物的なものの伝え方だと、見えないものとの接点は持てませんね。

子どもは大人よりずっと、見えないものを感じながら生きています。
大人になるに従ってどんどん鈍くなって、見えないものがどんどん分からなくなっていくので、やっぱり忘れてしまうことが多いんです。

そこをつないであげるガイドは、重要だなって強く思いました。

私にとってはあまりにも当たり前のことだったから言わないできましたけど、この間、ふとそういう違和感を強く持ったので、ぜひみなさんもやってみてください。

そして子どもたちに、人がいなくてもそういう挨拶をするのは、神様がお家のなかにいて守ってくれてるからだよ、ということを実感を持って伝えられるような日々であってほしいと思います。

2019年4月18日(木)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ