先週の日曜日のキッズ・ヨーガで、クラスの最後にキールタンの練習がありました。
キッズは年に4回の大きなイベントの時だけリードをとることにしていて、今週末の開校記念祭では、「まさみ語マーチ」と「マハマントラ」の2曲です。
先週もスタジオを借りて自主練習をしたと聞いていたので、ほぼ完成に近いのかなーと思って立ち会ったんですけど、全くできてなくて、歌詞も暗記してない。
なんでこんな状態なんだろうと思い、とにかく週末の開校記念祭では、彼女たちに達成感をあげなきゃいけないので、私のいる15分の間に仕上げるっていうモードに私が入ってですね、で、キッズに言ったんですね。
「自分がやった、やってることが、まあこのくらいでいいかなって思うということは、自分の能力を自分でちっぽけに限定するってことよ」と。
小学1年から中学1年くらいの子たちですけど、自分の力はほんとはこーんなに大きいのに、「まあこのくらいでいいかな」と思った瞬間に、その100分の1の力しかない自分っていうのを自分がつくっちゃうのよって言ったんです。
それで、ダラダラ長い時間練習したって、集中してないからちっとも上手くならないし、覚えないでしょ?
今、私が「譜面を見ちゃダメ」「歌詞を見ちゃダメ」と言って、もう1回、もう1回、もう1回って言った3回目には、ついに頭に入ったでしょ?
何でも、練習するとか勉強するっていうのは、とにかく「自分はもっと出来る!」って、まず言いなさい。
もっと出来るはず。そして集中する。
「短い時間でもっと出来る私なんだっていうことを、やる前に確認しなさい」と言ったんです。
その15分後には完璧な状態まで作り上げて、譜面も暗記し、歌詞も覚えて、完成したんですね。
キッズをガイドするのは親の役割ですし、私はキッズ・ヨーガのインストラクターとして徹底的に良い方向へガイドし、潜在能力を十分に引き出したいという強い思いがあるので、いつもこういう話をして、キッズは見事にそれを体現します。必ず出来るようになる、すぐにです。
このことは、大人も同じだと思うんです。
見ていると、まず目標設定の低さに結構私は驚きます。「え?そこが到達点でいいの?」っていう感じですね。
私は小さい頃から「あなたは理想が高すぎる」って、百万遍言われてきましたけど、理想が高すぎることが私の人生の邪魔になったことは一度もないです。
常に到達地点をジリジリと上げていく。最初から高く設定する場合もあります。
みんなにも言い続けていた時代もあります。ギターを弾くならクラプトンを超えろと、歌を歌うならアレサ・フランクリンを超えるんだって。
そういうことを言うと、みんな本気にしないでヘラヘラ笑って受け流すんですけど、私はけっこう本気で言ってます。
それぞれが、神様からもらってる才能は種類が違います。
好きで始めたギターなら、もしかしたらクランプトンより才能を貰ってるかもしれない。
好きで始めた歌なら、アレサ・フランクリンを超える才能を貰ってるかもしれない。
自分がどこまで到達するかというのは、自分の潜在能力を信じてどこまで練習するかっていうことにつきるんですね。
だけど、その目標設定が最初から、音程が取れればいいやという設定だったら、絶対にそれ以上はいかないし。
まあなんとなく、「禁じられた遊び」のメロディが弾ければいいや、だったら、決してそれ以上はギターは上手くならない。
それは、日常生活の自分の心の平和度も全く同じです。
10回頭に来て3回我慢出来たらまぁいいや、だったら、それ以上には絶対いかない。
10回、なぜ頭に来るのかと。頭に来ないような考え方はどうするのか、とか。全てにおいてですよ。
もっともっともっともっと高い目標設定をすれば、一番最後は神人合一ですから。
自分のなかにある神様と、自分が合体するっていうのが最終目標なので。
途中の目標なんかどのくらい高くたって、最後の目標は、断トツに高いところにあって、今世で届くかどうかっていうことが最終目標なので。
現実的な、相対的な世界での目標なんていうのは、限りなく高いほうがいいに決まってますよ。
せっかくワークショップも今、素晴らしいレベルに上がってきて、いよいよ来年は「超劇薬コース」というのを体験すれば、大半の人がクンダリーニを上げるっていうのはどういうことか、実感を持って体験できると思います。
その体験をしたら、日常生活がガラッと変わる、心の中がガラッと変わるっていうことも、合わせて体験します。
その時に、自分はどの段階、どんなステージまで体験したいのか、限りなく目標設定を高くした方がいいです。
だって、設定した目標より上には絶対にいかれないんですから。
自分が低レベルの目標を設定したら、そこ止まりです。
神様からもらっている宝が、その千倍も高い所にいける可能性でも、自分が決めたところより上には絶対にいきませんから。
これはね、ほんとにもう全てに於いてそうです。
経済的な問題もそうですし、精神的な問題もそうですし、社会的なポジションもそうです。
伸びていく人は、目標設定が最初から高いんです。
そこに向かって、努力するからですね。
精神性においては神様と一体になるっていう目標。
もし「今世はいいです」って言ったら、絶対に今世では無理。
そういうことを、よく考えて、自分の中で今世のうちに、どう生きたいのか。
心身ともに、生活ともに、豊かな安らぎと感性を持って生きていきたいのか。
いつも汲々、汲々としていることが、自分の目標で良いのかってことは明らかだと思うんですけど、目標の見直しをすれば、自分が日々やることがハッキリ見えてくるので、目標の設定がいかに重要かということがだんだん分かってくると思いますね。
その目標設定っていうのは、毎日のサーダナによってどんどん上げていくべきものです。
小さい到達点もどんどん上げていくべきです。
ひとつ出来るようになったら次、それが出来るようになったら次の段階。
それがずっと続いていくことが楽しいと感じられる自分を作ることが、一番大事だと思いますね。
楽しくてしょうがないですよ、ホントに。
達成感が、あとからあとから自分の中に湧いてくる。それは人には分からない達成感ですね。
最終目標までジリジリと、ちょっとずつ、ちょっとずつ、1ミリの半分ずつ近づいていっているっていう喜びが、また自分の中の新しい情熱を生んでいくんだと思います。
2021年4月15日(木)朝のレッスンで
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ