相手を褒めると自分がきれいになります

今日のキッズヨーガのテーマは、「顔」でした。

もちろん内面的な気づきと学びが最も大事なことなんですけど、実際は相対的な社会のなかで生きているわけで、外見というのもとても大事なことですね。

外見に表れているのは、実はその人の内面そのものなので、内面を磨けば自ずと、素敵だしきれいだしかわいく見えるのは当たり前のことです。

そこにまたプラス、エネルギーという、神様の光という特別な美しい要素が加わるときに、誰が見ても、ヨーガを知らない人が見ても、どういう世界の人が見ても、ものすごく物質的な価値観の人が見たとしても、あるいは精神世界を極めているような方が見たとしても、誰が見ても美しい人は美しくて、素敵な人はやっぱり素敵です。かわいらしいと思う人は、やっぱりかわいらしいんです。

そこには内面の鍛錬、自分との闘いによって得た気づきがあって、自分をどんどんどんどん向上させている。

神様からの応援を頂くような生き方は、どういうことかってわかって、それを毎日の日常の中で実践している。

だから神様からの応援がたくさん頂けて、その応援と内面的な輝きが、実は顔の造作を超えていくんです。

造作そのものなんて、みんな目が二つで鼻が一個で口が一個なんだから、数が違っている人がいるわけじゃなし、付いてる場所がほんのちょっと違う程度のことであって、それがどう見えるかっていうのは、中からの光の量ですね。

いつもキールタンを一生懸命神様に献饌として捧げましょうとか、カルマヨーガで真心を込めて自分のカルマ、自分がつくってしまった自分の良くないカルマ、悪いカルマを、善い行いと引き換えに神様から入れ替えて頂きましょうというお話をしてます。

そういうことを心の底から、感じてないと神様の応援は頂けないです。

カルマヨーガという名目でやっていても、自分の好きなことしかやらない自分勝手なやり方は、どんどん悪いカルマを増やしてるだけですから。全然カルマヨーガになってない。

自分のなかで深く、自分がやりたいとかやりたくないとかじゃなくって、神様から選ばれて「これをやりなさい」と言われたことに対して、「神様選んで下さってありがとうございます。誠心誠意、自分のできることを一生懸命やらせて頂きます。」っていう気持ちでカルマヨーガに取り組んだときは、どんどん悪いカルマを消して頂くことができるので、それは光が通りますね。

そうすると、パッと見た時に「なんて素敵なんだろう、なんてかっこいいんだろう、なんてかわいらしい人なんだろう」っていう顔立ちに見えるんです。

もうひとつ、内面を磨くということにつながるんですけど、人のことを見るときでも、どんな人も良いところもあれば良くないところもある。気に入らないとこも短所もある。悪いところもある、けど良いところもある。

どこにフォーカスして見るかっていうことで、見ている自分がブスになったりかわいくなったりするんです。

それは相手の問題じゃない。自分がどこを見てるかという、そのフォーカスした場所で、自分の顔が変わっちゃうんです。

ネガティブなとこにフォーカスしたら、自分の顔がどんどんブスになっていく。

良いところにフォーカスしてそこを見ようとしたとき、自分の顔がきれいになってる。

自分の心の中と相手というのは鏡だからですね。

相手は自分を映す鏡、っていう言葉で昔々から言われ続けてますね。

自分一人では内面を磨けない部分があるから、そこを磨くための役割として誰かがいてくれるわけですね。

その誰かっていうのが、切っても切れないような関係、家族だったり伴侶だったり、または仕事の上司だったり仲間だったり。会わなければならないようなポジションに、わざわざ神様がそういう人を置いてくれるんです。

あなたはどこまで修行できますか? どこまで自分の顔をブスにするつもりですか? または、どこまで精神的にレベルを上げていくことができますか? っていう、それが神様が誰かをご用意下さっている意味ですね。

今日は、キッズたちは、お互いの長所を20個言い合うというディスカッションをしました。

それは言われている方よりも、言ってる方がどんどんかわいくなっていく。

見ていて本当に、みるみる変わってきます。

良いところを見よう見ようとするときに、自分のなかの良い部分に、どんどんどんどんエネルギーが送られて、栄養が送られて開発されるからですね、そこが大きくなる。

以前もお話しましたけど、心の中には全員が同じ種を持っています。

良い種に光を当てて水をあげるのか、良くない、出てきてはいけない種に水をあげちゃうのかっていう話を以前しました。それと同じことですね。

相手の良いところをできるだけたくさん言葉にして伝えるとき、磨かれているのは実は自分の心の中であるということ。

だから反対を言えばですよ、相手が頭にくるって言って文句ばかり言ってるときは、自分の心の中の汚いところ、生えてきてはいけない種にじゃんじゃんじゃんじゃん水をあげてるってことです。

これは実感を持ってわかると思います。わかっていてもできないときもあります。人間だから。

だけどわかっていれば、できなかったときのことを、夜になって、あー自分がいけなかったってひとつ気づいて、翌日はちょっと小さな小さな悟りの積み重ねがあって、それこそ本当にカタツムリの一歩だけど、そうやって自分自身が素敵になっていく。

どんどん気持ちよくなっていく。どんどんきれいになっていくという、楽しい人生につながっていくんです。

今日はそんな話をしましたので、大人も自分の日々の心の在り方、言葉などをちょっと振り返って、美しいね、美しく生きてるから美しいんだねっていう人になりましょう。

だからあの人は、神様からいっぱいご褒美頂けてるよね、って誰からも見えるように。

自分が一番嬉しい人生を生きるっていうことを日々目指し、実践していくことが大事だと思います。

2021年5月2日(日)朝のレッスンで

アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ