もう何度も何度も何度も話していることなんですけど、やっぱりまだできないか、取り組んでないか、気づかない人が多いので、またお話します。
「繋げる」という意識が気づきを生むんですね。
繋げようとしない限り、気づきは生まれないですよ。
ヨーガは何のためにやっているのかということも、「自分の日常生活に繋げる」という意識がないと、アーサナをやっている時だけ左右対称に気をつけたり重さの玉を意識したり、たくさん伸びたり、筋肉を縮めてぎゅっとしたりっていうことをしてても、体操着の時間が終わって一歩外に出たらすっかりそのことは別のことになっちゃって、普段の癖通りの体の使い方をしていれば、2時間頑張ったものはどこに行っちゃうんでしょうっていう話です。
またクリヤやタットワをやって、宇宙の創生まで学んでいるのに、しかもなぜ人間ができているのかっていう元素の話まで勉強しているのに、未だにまず「私は悪くない」と言いたくなるまま日常を生きてるなんて、何のためにタットワやってるんですかっていう話になります。
学んでいること、サーダナとしてやっていることすべてが特別なことなんですね、きっと頭の中で。それはヨーガの日、ヨーガのこと、またはそれはサーダナのこと。それと私の考え、私の日常は関係ないってなってるんですよ。脳がですよ、脳が。
だからちっとも変わらないの、何にも変わらないんです。こんな無駄なことないです。
私は創立以来、日常生活に役に立たないヨーガなんてクソくらえ、って言ってます。
それはヨーガ病と呼びます。
ヨーガの世界ではどんなにきれいなポーズができるかしれませんし、どんなに知識が豊富で情報をたくさん持ってるかしれませんけど、何の役にも立ちませんから。日常生活が変わらない限り。
ヨーガをやる目的は、日常生活がバリバリ元気で、とにかく心の底からワクワクが噴出、湧き上がって止まらないくらい生きてること自体にワクワクがあって、そういうパワーとエネルギーでいつも元気で、自分のやるべき使命は何か、神様に捧げさせて頂くカルマヨーガによって今まで作ってきた悪いカルマは何かと、それといい行いをして取替っこをしてもらうには、どういう気持ちでやればいいのか、どのくらい自分の中の純粋さが掘り起こされたらいいんだろう、とか、そういうことを考えるためにヨーガをやってるんですね。
自分の日常に戻った時こそが本当のヨーガなんです。
繋げる、繋げる、繋げる意識で、重さの玉一つとっても、スーリヤ・ナマスカーラの重さの玉じゃないんです。日常生活で使う重さの玉なんです。
感情が高ぶったり荒ぶったりしたときに、ぐっと重さが丹田より下に、グググって船の碇のように重くなれば、一拍待てる。
感情のままに荒れ狂うのをどうどうどうって、馬にブレーキをかけてから、もうちょっとわかりやすい言葉は何かなとか、どういう切り口でこの間違いを訂正したらいいかなっていうこともできます。それは重さの玉の威力です。
スーリヤ・ナマスカーラの重さの玉じゃないんです。
全部日常の生活の中で、自分が本当に気持ちの良い自分の時間を長―くしたい。みんなそれぞれ素晴らしいものを神様から頂いているので、自分が自分に対して気持ちの良い自分だな、こういう自分大好きって思う時は、天から頂いた素晴らしい部分が全面に出ている時なんです。
だけど、それを上回るくらい我が強いので、我が自己保身とか、私は悪くないとか、私はこんなことくらいできるわよとか、くだらないプライドとか諸々ですよ。好かれたいとか、褒められたいとか、そういういろんな我が結局は神様が下さった最高の素晴らしい自分というものを覆い隠しているんですよ。見えなくしてて、なんか気持ちよくない。
それで、自分に対して自分がイライラしたり、またどうして自分にイライラしているかわからなくてちょっと不機嫌になって人に当たったり、災害を起こしたり、いろんなことが起きます。
その時にも、ヨーガと日常を繋げる。ヨーガをやってるあなたは特別なあなたじゃなくって、本当のあなたがヨーガをやっているんです。
ヨーガをやっている本当のあなたの体の使い方、エネルギーの使い方、呼吸の仕方、重さの持ち方、考え方の回路。宇宙の中の小さなちっぽけな一粒の星なんです、全員が。完璧な人は一人もいません。
それを全部神様がご覧になっているのに、なんで神様に向かって、私は悪くないって言う必要があるんですかという話ですよ。神様は全てご存知なんだから。
そういうことをやっぱり全部繋げる、繋げる、繋げる、何もかも繋げていくと、本当に自分の中での気づきというのが大きくなります。深くなる、そしたら変われる。
気持ちの良い自分、神様から頂いた本来あるべきあなたの姿はこれですよっていう、好きな自分の時間が長く持てる。
健康で、体の痛みが自分のやりたいことを邪魔することなく、集中して自分の中の達成感がどんどん積み上がっていき、いろんな人の幸せにもちょっとずつちょっとずつお手伝いができる自分になっていくんですね。
ぜひ、もっともっと細かく繋げて考えてみて下さい。
考えないと駄目ですよ。繋げて、観察する。徹底的に事実を観察する。それを言語化する練習ができないと脳は学習しません。
脳はとにかく新しいことが大嫌いなんです。リスクのあることも大嫌いなんです。挑戦も大嫌いなんです。ルーティンだけで何も考えないのが脳が一番好きなことなんです。そういう脳にわざわざ神様が作ったんですよ。なぜなら魂修行をするために生まれてきたんだよという意味です。
だからこそ強い意志がないと、脳の言いなりだったら、何にも考えないで90になってポックリ死ぬことだってできると思いますよ。ご飯食べて寝て仕事して、ご飯食べて寝て仕事して、90になって、はい死にました、でもそれは、次に生まれてきたときには、もっと過酷な環境できつい目に合わないと魂修行は君はできないんだねって、神様の判断が加わるので、誰から見ても大変で苦しい環境に生まれて、その中でもがきながら血を吐きながら苦しみながら、自分とは何だろうという作業をしなければならなくなる。それは何回も何回も何十回も何百回も続くことです。
それは決まっていることなんです。ならばできるだけ早い時期に気が付いて、神様からの宿題を今世で終わらせるという気持ちになって、自分を見ていく。
自分を調教していく。
せっかくこういう話を聞けるところを選んで、今ここにいるんですから。聞けない人とは環境が違うんですから。
聞けたということだけでも、やっぱり今世で神様からかなり大きな期待を受けて生まれてきたんだな、ということを自覚して頑張るべきだと、私はそう思っています。
2021年5月16日(日)朝のレッスンで
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ