お祈りの力と言霊の力の偉大さというものを目の当たりにして、みなさんがそのパワーに実感が持てるような体験ができた「日向の神子になる日」は終わって、今度はグループーニマですね。
自分自身の人生を考えても、もしもグルーに出会えていなかったら、本当にどうなっちゃっていたかなぁと思うと、ゾッとしますね。
書物や言葉を超えて、自分の中の一番本当の自分、小さい神様にダイレクトにエネルギーを注ぎ込んでいただけたことによって、そもそもの天上界でのかすかな記憶が自分の顕在意識まで上ってくるようになれたことが、やはりグルーの力のお陰だと思います。
天上界の声が聴ける小さい神様がちゃんと目を覚まして、大きい神様の声を聞こう聞こうとする生き方に目覚めることができれば、自然に相対的な価値観というのは全く無意味であるっていうことが、腑に落ちるんですよね。
日々の中で。
それが腑に落ちなければ、頭の中での理解があっても、相対的な関係の中で溺れそうになったり、苦しんだりということが続きますね。
でもグルーに出会わなければ、「我」というコールタールにどっぷりまみれて、小さい神様は多分死ぬまで一言も本当のメッセージを自分に伝えられなかったという気がします。
きっと伝えたくても、我というコールタールに覆われ過ぎていて、何も発信できなかったのではないかと。
そう思うと、本当に1993年にパラマハンサ・スワミ・サッチャナンダというグルーに出会えたことが、今世の人生の最高の出来事ですね。
それからはもう、ひたすらシンプルにシンプルに、どんどんどんどん開放されて、いつの頃からか実感を持って、2004年だったと思いますけど、「足りないものは何もない」というのが、体の底から沸いて来る心の声ですね。
あとは磨き続けるだけという究極のシンプルさで生きています。
磨き続けることに終わりはないし、しかも限界というのは感じたことがないので。
どこまででも磨き続けて、限りなく磨き続けて天上界に帰るということに、迷いもブレもない日々ですね。
そのグルーを讃える日というのは、結局は今までの自分の人生を振り返る日とイコールなので、冷静に、自分自身の見たくない所も全て、自分の目の前に並べてみて、言語化してみる。
見たくない所も言語化できるようになれば、受け入れるということが出来て、受け入れさえすればそこから解放されていくんですね。
あぁ、それが事実なんだと分かった時に、解放されるんです。
解放されると同時に、それがもし自分にとって気に入らないことなら、どういう対策を取ったらいいかということも自ずと見えてくるんですけど、受け入れることができないのは、事実が見えていないからで、悩みが永遠に続いていくんです。
とにかく一年に一度、グループーニマの前には、本当に勇気を持って自分が誰にも知られていないと思っている、自分さえも見たくないと思っている自分の心の奥の扉まで、きちんと開けて風を入れてみる作業を大事にすると、来年に向けて、さらに確実な進歩が約束されます。
2021年7月3日(土)朝のレッスンで
アメージング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ