十九歳の時にほんのちょっとの期間だけアルバイトをさせてもらった不動産屋さんがあって、社長さんが素晴らしく優秀な方でしたが、私は十代だったのでその方の凄さっていうのがその時にはあまり分かっていませんでした。
ある時、その社長さんから「紙やさん、自分の人生でこの人は怖いなって思う人に出会えたら、あなたは幸せなんだよ」って言われました。
その「怖いな」の意味は、心の奥底の全てまで見通されているという怖さ。だから何を取り繕ってもどんな言い訳しても、何を言っても通じないし、まずそういうことを言えないぐらい怖い人に出会えるように、人生の中で探しなさいねって十九歳の私に言ってくれたんですね。
その言葉がずーっと私の中にはありましたけど、怖いと思う人にほとんど会ったことがなくて。
初めて「あの時あの社長さんが私に言ってくれたのは、こういうことだったのか」と実感したのがサッチャダルマさんですね。
とても優しく見えましたけど、実は物凄く厳しかったので本当に怖かったです。
でもその怖さが、自分が萎縮するとか阿(おもね)るとかそういうことではなく、とにかく芯の芯の芯まで襟を正して本気で付き合わなければいけない、そういう気持ちの怖さですね。
その芯の芯の芯まで本気で誠実に付き合うべきなんだ、と思う気持ちが揺らぐことがなかったっていうか。
一緒にご飯食べて笑ったり映画を観たりしましたけど、どんなに仲良くしても、私の中心にはその怖さが消えることはなかったです。
でもそのおかげで、本当に今の私があります。
その時に自分がどのくらい、中心の中心のそのまた中心まで誠実かっていうこと。
そこにほんの0.0何%でも、ずるい気持ちとか邪な気持ちとか、高を括った気持ちとか、このくらいやってるからいいだろうとか、そういう気持ちがあったら壊れるんだっていう、恐怖心とは違いますけど壊れてしまうんだと。
もしもそういう心が自分の中に湧いたなら、人生で最も大事なものを失ってしまうんだという怖さですかね。それは常に本当にありました。
だからといって、それが自分を苦しめるっていうことじゃなくて、その怖さを与えて下さったおかげで、自分に対する厳しさっていうか、負荷のかけ方も、それから捨てるべきものを捨てるという決断もできたのかなぁと。
そしてようやっと、内的人生っていうものにシフトをかけるということができたと思うんですね。
彼女は私に、そういう風に怖くしようなんて思ってはいなかったと思います。
私の受け止め方が、やっとそこに到達したってことだと思います。
だから相手は誰でもよかったかも知れませんけど、私がそういう気持ちで、その人を受け止めることができるようになれたっていうこと。
そのタイミングで、サッチャダルマさんの愛がそういう厳しい形をとって下さったので、それをバネとしていただくことができたのかなぁと思うんですね。
自己肯定感という言葉も大嫌い。そんなものは全く必要ないと私は考えているので。
自己肯定した瞬間に終わりですよ、人間は。自己肯定しないから進化していくわけで。
1ミリでもいいから、いつか肯定できるような自分を作りたいと思うから進化進化進化していくわけ。
自己肯定した瞬間に、気持ちが棺桶に入っていると思っています。
自分自身の人生の中で本当に怖い人に出会えたら、もの凄くあなたの人生が豊かになるよ幸せなんだよって、私は十九歳の時に言って貰えたその言葉を大事に思ってます。
そういう出会いがあるかどうか。
それは出会いがあるかどうかじゃなくて、自分がそのような姿勢で誰かとの出会いを受け止めることができているかどうか、の点検だと思うんですね。
ぜひ皆さんの、自分を客観的に見る材料のひとつにしていただけければと思います。
2022年4月27日(水)朝のレッスンで
アメイジング・ヨーガ教室
シャンティパット主宰
紙や まさみ